路標 ⊹ ごあいさつ

 

 


ALDOさんでの個展「路標」は、昨日で会期終了いたしました。
会期中はあたたかな気持ちでいて、終わるときにはすっきりした気持ちでした。
展示させていただく場所(今回はALDOさん)やみなさんとの関わりのおかげで、バランスを保ちながら制作が出来ているのだと実感しました。本当にありがとうございます。
展覧会の記録はこちらからご覧いただけます。

 
喫茶店での展覧会ははじめてでした。
来てくれたお客さんが絵を眺め、そのあとお菓子やおいしいのみものをたべ、また絵を見るという流れがとても好きでした。絵を見るのって疲れますから、ALDOさんのお菓子はばっちり効いたんじゃないかな。
 
在廊中、わたしもたくさんのお菓子やのみものをいただいてしまいました。
全部すごくおいしくて、ぽわぽわのカフェラテも大好きでした。
「ライラック通りのぼうし屋」という物語に出てくる、ふしぎな店でふしぎな食べものを注文するシーンを思い出しました。練馬という町も、あの物語の舞台のイメージでした。

ALDOさんのコーヒーやケーキをいただいていると、言葉を交わさずとも、言葉のようなものが届いた気がしました。言葉じゃなくて、言葉になる前の姿かもしれない。食べものはすごいです。わたしの絵もそのようになっていたらいいな。
 
 
目の前の静物を見ながら描いていたとき、確かにわたしは静物を描いていました。
透明な瓶の横に果物を配置したらがらりと空気が変わったので、おもしろく追っているうち、その景色は風景のようにも、あるいはひとつの社会のようにも思えてきました。
そしてそれは、「今までのわたし」でもあったし「これからのわたし」でもありました。
近くに遠くにある(あった)ものが、色やかたちや筆跡となって、今、そこに映しだされている。
 
絵は生活という営みのひとつにすぎないけれど、食べもののように、食べたらなくなる、みたいなことがありません。歌みたいに、直接手で終わらせることをせずとも、消えてしまえばいいのにと思います。…でも、歌も、残ってしまうかもしれませんね。
絵を描くことは、営みとしては、不自然な行為でしょう。つくったものを食べるみたいに、別れるために紙片を作品とし、わたしの路標として名前を与えてみる。

 
今回も額を背骨さんにご依頼しました。
絵を見てデザインを考えてくださっております。
背骨さんの視点が入って、嬉しいです。
 
関わってくれたすべての方に感謝でいっぱいです。
ほんとうにありがとうございました。