やらなきゃいけないことをしていたのに、気づいたら今日も音楽に夢中になってた。最近は絵はまったく描かず、勉強をしたり、音楽を聴いたりの毎日を送っています。そんな日々を送っていて実感したこと…この時間はすっごく、すっごく大事な時間だということ!
チャゲアスの『PRIDE』を聴いていて、これは尊厳の歌でもあるんじゃないかとおもった。
プライド…prideと尊厳...dignity、は微妙に異なる意味を持っているけれど…この曲で歌われるプライドという言葉には、わたしがおもう「尊厳」という言葉も含まれているように思えた。
戦争のことを考えるとき、「尊厳」というものをいつもより強めに意識しなければならないように思う。わたしが戦争について目をそらしてしまいそうになったのは、自分の中で考える「尊厳」の定義が曖昧であった…というか、尊厳というものは誰でも持って<いる>もの、ということを理解できていなかったからかもしれない。
尊厳とは、全ての人が持つもので、手放してはならないもの。例外なく、すべての人間に対してもそう思う。それに、そう思わなければならないものでもある。
そもそも尊厳がなくても社会は成立するんだろうか。どんな状態、状況を成立した社会と見なすかは人それぞれなんだろうが、私は尊厳がない社会など成立しないんじゃないのかと思う。…なにがなんでもとにかく私が「戦争はあってはならないもの」と断言できる理由の中に「尊厳」は大きく関わっている。そして、それを主張する方法も各々であっていいはずだ、とも心から思う。どんな場面・相手においても、何かをするとき、それが尊厳を踏みにじる行為になっていないか考えることは今すごく重要なことなんではないのか。
尊厳ってなんだったっけ、と考えているうちに、戦争に抗うってどういうことなのか…の、自分なりの答えの一つが見えてきた。急がなければいけないけど焦っちゃだめだ。焦ると何も出来なくなる。近道しない。
尊厳って、自己肯定や自己否定や劣等意識よりもずっと下に、絶対的に存在するもののはずで。たとえ今暮らしている家の窓から見える景色が火の海でなくとも…青い木がやさしく揺れ、平和的でうつくしい景色が見えているとしても、手放してはいけないもの。
死んでも守らねばならないとすら思えてくるのは…それは今、奪われそうな気がするからかもしれない。この事実は、悲しい、悔しい。
とにかくいかなる場合でも…自分の尊厳を自分で奪う、ことも含め、尊厳を奪われるようなことがあってはならない、絶対にだめ。心底当たり前なことのような気もするが、すっごく大事なことのような気もするので、ここに書き留めておく。
わたしは、尊厳というものが、人があたりまえに持っていて<いい>ものだと気づけるまで、26年かかった。多分、遅いのでしょうけど…今気づけてよかったと思う。
それにしても本当に世の中にはすごい音楽がいっぱいあって…すごい!!『PRIDE』が尊厳についての歌じゃなくたって(そういう意図でつくられた楽曲じゃなくたって)、そんなことはどうだっていいのだ。人間って本当に、たいしたものだなあ。