おしらせつづきです。
なんと、尾形亀之助さんの詩に、わたしが描いたばらの絵が添えてあるポストカードができています。すてきな紙に、活版で印刷されたもの。
宮城県にある、毛萱街道活版印刷製本所の小熊さんが発行してくださいました。
先月まで仙台/曲線さんで小熊さんがひらいていた展示「タイポグラフィカルをがたかめのすけ 〜金属活字による尾形亀之助『障子のある家』再現展〜」に伴い制作されました。私が描いたばらの絵を見て、それに合う詩を小熊さんが探してくださったそうです。
私がばらを描いたのは、小熊さんの工房のまわりに咲く小さなばらのことを思い出してのことでした。
先月仙台へ赴きましたが、その目的はこの展示の搬入のおてつだいの為でした。案外搬入作業に時間が掛かってしまい、展示をゆっくり鑑賞することは叶いませんでしたが、その他の物販(この展示の図録、復刻版『障子のある家』などなど)をプレゼントしてくださり、図録からですがその展示を味わうことができました。先日ようやく読みましたが、胸がグッとなりました。
小熊さんが復刻した『障子のある家』*についてのいろいろのことを、わたしはうまく言葉にできません。ただただ、その姿勢やまなざしに、安心させられています。
*底本は昭和23年に草野心平が再販本として発行したもの。初版を忠実に再現されたといわれいるそうです
図録の中で、小熊さんへ向けて寄稿された、友人でもある熊谷麻那さんの文章『物理的な言葉』が、活版印刷や小熊さんについてのことを伝えるすばらしい文章だったので、一部引用して、ここに載せます。
以前、自身も開発に関わった機械を、6億キロ先の宇宙まで飛ばし、地球への帰還までを見守りつづけた研究者の話をきく機会があった。6億キロというと、わたしの想像をはるかに絶する。そのひとはなぜ、その道程を進みきることができたのか。話を伺っていくうちに感じられたのは、「そのひとは、そのひとなりの(想像ではなく)実感を、6億キロぶん積み上げたのだ」ということだった。6億キロの道程に、説明できない一歩はないように見えた。
小熊さんの所作のひとつひとつは、その研究者と同じように、自身にとっての実感を積み上げる必要な過程なのだろうと思う。しかも小熊さんの道には、たとえ6億キロ先まで進んでも、ゴールと言える何かがあるかはわからない。反対に、ふいに明日、ここが到達地点だと思えてしまうこともあるかもしれない。そんな気まぐれな道で、小熊さんは毎日「ま、こんなもんか」と諦めにも聞こえる実感を、静かに、確かに積み上げている。そこに含まれる滋味を、わたしは見ている。
この文章が載った図録や、小熊さんが復刻された『障子のある家』、詩とばらの絵のポストカードは、以下のネットショップから購入できます。よかったらのぞいてみてください。
ちなみに、上の文章を綴った熊谷さんがこの展示に併せて小熊さん宛(正確には、毛萱街道活版印刷製本所 宛)に制作したよみもの『歩 6/100号』も購入できるようです。こちらは、私も黒い丸として参加させていただいています。
(私もなぜか在庫を持っていますので、そのうち販売するかもしれません)
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