白い茎

 


 
今日はいつもよりも少し早起きが出来た。
異国に一人で向かう事になりアタフタした夢を見る。起きて部屋が明るいと嬉しい。 3月に比べると身体が軽いのは花粉のせいだろうか。
 
起きて弁当を作る。
卵焼きはダシと醤油、葱。昨日の晩作ったポテトサラダときんぴらごぼうを詰める。おにぎりはおかか(自分の分は梅干し)。
昨日から珍しく家事が楽しい。どうしたものか。洗い物をして、ゴミを出して、掃除機をかける。
チーズのふかふかしたパンとコーヒーで朝食をとる。
 
11時頃から、絵を描きはじめる。
やはり聴くものが定まらず、集中がよく途切れる。
最近は鉛筆で輪郭をひろった後に、黒い絵具と水分のみで着彩して一時的に完成させるのにハマっている。その方法に頼って良いのかはよく分からない。「見せる」事を意識して制作している気がするから。絵の完成までの道のりで安心する必要はないというのに、自分に優しい道を選んでいる。更にはその状態でスキャンしておいて後々何かの素材にしようか、などと考えている自分がいる。下心まである。けれども逆に、そのような疑念こそ邪念なのかもしれないと考え始める。絵を描くのは誰のためと聞かれたら、自分の為でしかないといえばきっと少し嘘になる。ある意味自分の為だけれど、ある意味誰かの為でもある。プロセスの正しさ的なものは鑑賞者には無関係である。どんな想いもどんなプロセスも完成した1枚の絵の補足くらいにしかならない、なってほしくないと思うし忘れないでいたい。これは絵具がのった紙。私の描く花の絵は実際の花の美しさには到底辿り着かないのだから、からまった思考の前で足踏みするより目の前の花を観察した方が適切だろう。
 
15時頃にお弁当を食べて、絵を再開。
黒く塗られていた茎部分を白く発光したようにしたいと考え始める。実際の茎は黄緑色で、白い産毛が生えている。黒い印象はない。やはり途中段階で完成させるのは絵そのものの完成に近づくとは限らない。安心しか得られないけど安心は結構大事だと言い聞かせる。
日暮れになり画面がよく見えなくなって来たと思ったら17時59分だった。18時頃になると暗くなるんだな。電気をつけて、散らばった絵具をしまって水バケツと筆を洗う。今日はここまで。その足で、日記を綴っている。
これから晩ご飯の支度をする。カブがあるので、カブ料理にしたいなと思う。