今朝の多肉植物。日照不足でへろへろだったところを半分諦めつつ植え替えベランダに出したら、すくすくと育った。存在を忘れるくらいなげやりに扱っていたのに、室内で育てていたときの繊細なフォルムからは考えられないムキムキボディに。たまに自分の過保護さを反省する。
この植物たちのように最近のわたしの心もメキメキで…主にB'zのおかげで…、展覧会の直前はいろいろな理由をつけて落ち込むことが多かったのだが、今回はそれもない。
昨日、作品の値付けをした。昔よりうんと高い値をつけるようになったと思った。自分の絵がその値段に見合う社会的な価値があるかはわからない。こんな高い値段の絵を買ってくれるひとはいるのかもわからない。自分だったらとても手が届かないし。
絵がほしいとは、どういう感覚なのだろう。
買ってくださる人とお話ししたときに、その決意について、所有欲ではないなにかを感じることがあった。
わたしは人に買ってもらいたくて絵を描いているわけでない。続けるために描き続けているわけでもない。応援はありがたいけど、それに応えることはできないだろうと思う。
屈折しているかもしれない。絵なんて買わなくていいんじゃないかなと思ったりする。いや実際には売れないと少し困る…から「買わなくていいと思いますよ」なんて言えないけど。
所持するってどういうことなのか。わたしもいくつか絵を買ったことがあるが、まだよくわからない。1ヶ月くらい前にすごく高い靴を、けっこう無理して買ってみた日があった。安い靴を買っては穴が空いて処分しての繰り返しだったから、10年履ける靴を買ってみたい、と、ちいさな決意みたいなものを抱きながら震えて買った。
…そんな感じだろうか。
買ってくださる方のその決意は、とっても、とってもすごいです!と、毎回思う。心から、ありがとう。
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大好きな猫が亡くなってどれくらい経ったかな。泣く日はずいぶん減った。生前と同じように写真を眺めることができるようになった。ずっとかわいい!
あの日と今の自分とを観測しつづけていて、最近はまたスタート地点の心持ちに帰ってきた。さみしいけどずっと一緒なことには違いないのだと、改めて思い直す。別れの日にはもう分かっていたことなのだが、これをちゃんと掴むのに、すごく時間がかかった。
しかし、すべて必要な行程だ。
花びらが散ってしまっても 君からもらったものは
この心臓とならんで 脈を打ってささやく
生きてゆけばいいんだと
最近ブログに毎回B'zが出てきて恐縮ですが、さっき『僕には君がいる』という曲を聴いて泣いた。 ぼろぼろに。なんでだろう?ものすごく自分の気持ちだった。
B'zの歌は、神様にならないところがサイコーで、寄り添わないところが大好き。太陽みたいだ。メキメキ元気になってきて、わたしも日照不足だったのか。