お仕事 / カレー屋『楽園』

 




『楽園』というカレー屋さんのショップカードの絵を描かせていただきました。

現在は主に下北沢の『Bar Harvest』さんにて間借り営業しているとのことです。
店舗オープンの準備もすすめているとか。
西嶋さん、素敵なご縁をありがとうございました。
私も胃が治ったら食べに行きたいです。

デザイン:浦川彰太
おたすけ:熊谷麻那

三時のカラス

 



午前三時。
黒だけが出てくれないプリンターと、ログイン画面までは開くのにその先をいこうとすると真っ白になるパソコンと、ひとつ戻るを押したらゼロになるケータイと。書こうとしたら出ないペンと、パンパンな胃と、ハコだらけの家と、洗ってない食器たちと、薬の残骸たちと。何してるんだろうっていう、ままならなさ。やったらいいのに、目の前がガサガサしていてなにがどれだかわからなくなる。 こういうままならなさにぶちあたると泣きたくなる。悲しみ。哀しみ。
 
午後三時。
胃薬を飲むためにお昼ごはんを食べようと思う。とにかく多めに多めに噛むようにする。測ってみることにした。噛んでいるあいだ、目が暇で、横目でインターネットを眺める。ふと目についた、なんてことないものに、強烈にばかげた悔しさをおぼえる。悔しさ?惨めさ?怒り?これは怒り?なんにしてもばがげてはいる。カラスがぎゃーぎゃーいいながら横切る。もしも私がカラスだったら「変になりたくて変になってるわけじゃないんだ!」って叫んでその人の家の横を通りたい。なにが多様性社会だよ。だよ。だよ。だよ…。などと急に憤っていたら薬を飲むことを忘れている。タイマーで時間を確認するのも忘れた。こういうところだ、バカヤロウ、コノヤロウ

個展「花」 / リーダン・ディート



 
展覧会のおしらせです。
広島の「リーダン・ディート」さんに花の絵をかざります。
生活を彩ってくれる沢山の本やうつわや秋の広島の風景とともに
お楽しみいただけたら幸いです。



市村柚芽「花」

会期:2025年11月1日(土)-16日(日)
休み:火
時間:11時-18時
場所:リーダン・ディート
(〒730-0802 広島県広島市中区本川町2丁目6−10 和田ビル 2階)

DMデザイン:古本実加さん
展覧会の企画:熊谷麻那さん
 



▲夏を思い出すチケットのようなDMを作っていただきました。
どこかで見つけたらお手にとってみてください。

月の裏側

 
 
今朝、久しぶりに猫の夢を見た。私は実家にいて、押し入れの中から猫が出てきた。もう一匹の猫は存在を当たり前のように受け入れていて、自分や家族は動揺していた。夢の中でもちゃんとすでに亡くなっていた。母は頭がおかしくなったのかなと言いながら喜んで泣いていて、私は猫の後ろ足がびっこひてるのに気づいて心配になった。

生きていてもいなくなってもいつもたくさんの心配をくれるなあと久しぶりの気持ちになる。そうだった。起きたときには寂しいとか会えて嬉しいとかよりも、頭の中で再現できるくらいおぼえていられてよかったと思った。その後すぐに、そんなふうに思うのはよくないからやめようと、執着の種を払った。せっかく体から解放されたのだから、お互い自由にやった方がいいと思う。

今日はずっと続いている身体の不調と向き合うため、習い事の見学をした。緊張のあまりキャンセルまで検討したけれど、耳の中でB'zに応援してもらいながら、なんとか。おばさま方が一斉にオットセイみたいになったり、山みたいになったり。スムーズな方、ぎこちない方さまざまに向き合っている。みんな立派だなあきれいだなあと思った。終わったころには話しかけてくれた方もいて、ここなら通えるかなあとうれしくなった。ウルトラソウルウルトラソウルありがとう。
 
自分の年齢では少し早いのかもしれないが、若さ故に成り立っていたことはたくさんあったと感じる。身体のことも、制作のことも、認識の歪みも。
辛い日々があったとして、それを振り返って語るとき、本当はたくさんの感情が内包されているのに、それらを切り捨ててただ辛かったと言ってしまいがちだと思う、自分は。現実の毎日というのは、基本的に辛くても、その日その日でなんらかの生きる糧を見出してがんばっていたはずだった。少し前、ラジオを聞いていてそんなことを思った。だってそうでないと今日まで生きてこれてないはずだからだ。認識はどこから歪むのだろうと考えていたけれど、自分の場合は後から不必要に・不器用に・雑に形容を試みる際に切り捨てている(歪めている)ことが多いのかもしれない。立ち直れなくなったり八方塞がりになるのはその積み重ねでもあるのか。

そんなに興味がないからわざわざ眺めないけど、ここ数日、外を歩いていて月がまるくてびっくりする。あの裏側にはたくさんのものが隠れているんだ。そう思えるくらいに視界がひらけた。一歩ずつ大人になる。しっかり手放して、本当に忘れてはいけないことは何回でも思い出して。思い出すためにはパワーがいるから、引っこ抜くための。ちゃんと向き合わなければと思う。

はんぶんこの月

 
 
オカダさんの『青いさかな』を聴くと大丈夫と思える、理由はわからない。いくつになってもいつでもまた聴きたい。
 
今日は絵が完成しても焦りが続いた。
まる1年思い出しもしなかったモノなのだから断捨離してしまおう、って決意があったとして、その2年後くらいに急に思い出して探し始めては捨てたことを思い出して「なんちゅうことしてしまったんだ」と後悔する、みたいな出来事が、10月になってから多発している気がする。情けない。なんだかいろいろなことが申し訳なくて謝りたくなって踏ん張り、外は眩しすぎて怖くなる。いつまで未熟が続くんだろうと考えると虚しくなる。秋のくだものはみんな美味しい。