休憩。
途中の青。
眠気地獄の山場は超えた感じがする。
お米を研ぎながら急にほどけたこととか、意識があるうちと眠りとの境目でふっと湧いてきた答えとか。本当に必要な時に限って手の届くところに紙切れもペンも転がっていない。こうして書き出そうとしても何も出てこない。蝶のようにひらひらと周りをまわっていて、つかみたいときにはつかめないものだなと思う。大事なことを書くために買ったノートは数ページだけのらくがきとほとんどの空白。
好きって表現があっているかは分からない、たぶん、近くにおいておきたい風景である。
モランディの風景画とか、クリムトの湖の絵とか、マシューウォンの青っぽい絵とか。どれも本や画像でしか見たことがない絵たちだ、原画を欲しいともべつに思わない、人間とか心情のことは全然興味がわかない。けども、この絵が描かれたんだということにいつもよろこばしい気持ちになる。これらはかつて道標のような役割があった、今は自分の一部のように思えた。