鳴り止まない


 
最近はB'zばかり聴いてすごしています、本当に、本当に、本当にかっこいいんですね…。
これまでメジャーな音楽を避けていて全然聴いたことなく、こんなにすごい人間がいたなんて知りませんでした。今までの鬱屈とした時間は、この曲を聴くためにあったんでないかとすら思えてきます。
B'zの歌詞は文学じゃなく…だから、「歌詞の○×がすばらしいから好き」、というわけでは断じてないのですが、(その音楽、その、完成されすぎた曲そのもの、がすばらしすぎて、大好きすぎるのです)しかし言葉だけでも感動せざるを得ない箇所がいくつもあり、その点では『恋心(KOI-GOKORO)』にはとんでもなく震えました。この感動を忘れたくなくて、歌詞を引用してノートにぎっしり感動ポイントを書いたりしました。
最近また落ち込んでいた期間があり(うんざり)べつのきっかけと重なってアドラー心理学について勉強しはじめたのですが(命拾いしました)、その勉強ノートに、地続きのこととして書き綴りました。アドラー心理学とB'zはすごく近い部分があるように思います。
…それにしても『RUN』はヤバすぎて、まだ歌詞をちゃんと読めていませんが…読むと本当に泣いちゃいそうで、でも、こことか
 
荒野を走れ どこまでも 冗談を飛ばしながらも
歌えるだけ歌おう 見るもの全部
なかなかないよ どの瞬間も
 
(号泣)
こことか
 
これは一生の何分の一なのかなんて
よくできた腕時計で計るもんじゃない
 
約束なんかはしちゃいないよ 希望だけ立ち上ぼる
だからそれに向かって
 
 (嗚咽)
 こことか
 
人間なんて誰だって とてもふつうで
出会いはどれだって特別だろう

(絶句)
気づいたらもう全部引用してしまいそうになります。やっぱりちゃんと読めません。歌詞があまり聴き取れないくらいの環境でBGMとして聴くくらいでないと、今のわたしでは泣き崩れてしまいそうです。これを涙を誘いながら歌うんでもなくて、もう、疾走感の中でワーッと歌っているところが本当に最高です。ダブルで来ます。
 
B'zの他にチャゲアスやら布袋やら(はじめて聴く音楽なんです!)を聴き漁っていますが、感情が爆発して笑っちゃうくらいすごい曲が、鬼のように…聴ききれないほどあります、引きました。こんなすごい人がいるのなら、わたしがやらなければならないことなど、本当に一つもないと思いました。それは心の底からよろこばしい発見で、これまでも何度か思ってきてはやっぱりそんなことないんじゃないかと繰り返してきましたが、今回でそれはようやく区切りが付いた気がします。目の当たりにして、私は私がやりたいことだけをやればいいのだと完全に理解しました。もう揺るがないと思う。
 
アドラー心理学には「自己受容」というキーワードが出てくるのですが、その言葉にすごくしっくりきています。自己肯定ではなく「自己受容」。あっさりしているが、私には新しい視点でした。私の頭の引き出しの中には「自分を肯定するためには何かを否定せねばならない」という理屈しか持ち合わせていなかったのですが、その観点はそもそも自分がバトルロワイヤル上にいるという、<そもそも>歪んだ認知から生まれていたものなのだと気づかされ…、ここはバトルロワイヤルではないと捉えることができれば、たしかに肯定も否定もなく存在できるのかと、呆気なく腑に落ちました。「居場所」のこととかも同じように。私は、全ての物は平等に無価値であり、同様に、価値あるものであると思いたかった。思えるようになって、すごく嬉しいです。
B'zの曲の多くはその基盤のようなものが頑強で、だから私は感動するんだろうと思う。
今朝、比較的新しい曲らしい『イチブトゼンブ』をおずおずと聴いてみたところ(だいぶ古い曲ばかり聴いていたのでちょっと怖かったです)、最高で泣いてしまいました。

とにかくここ数日はアドラー心理学とB'zの感動が凄まじく、そろそろ吐き出しておかないと身体が壊れそうだったのでここに。チャゲアスとか布袋とかデヴィットボウイに対しての感動ポイントはちょっと違うところにあって、ここも破裂しそうになったら書いてしまうかもしれません、鬱陶しかったらすみません。しかしめきめき元気です。本当にうれしい。ロックンロールって本当に鳴り止まなかったのですね。よかった…。