祈りと呪い

 


今日は、身体が重い。曇りだからかもしれない。起きてホットケーキを焼いた。
ときどき、楽しみに読んでいるブログのひとつ。高山なおみさんの「ふくう食堂」の中の日記「日々ごはん」の最新記事で綴られた文章を読んでいて、心がゆらゆら動いた。
 
「日々ごはんは、私が生きていくために書いている。ウソを書いているわけではないけれど、私が生きたい世界を書いている。だから、自分のためで、読者のみなさんのために書いているわけではないんです」
そこまでは言えたのだけど、今朝ベッドのなかで思っていたのは、その続きの言い足りなかったこと。
(それでも、私が生きるために書いたそんな日記を、どうして書き続けられたかというと、読者の方たちが待ち望んでくださったから。そして、長い間読み続けてくださった。そのおかげで、アノニマのスタッフと力を合わせ、20年も本作りを続けることができた)
それが今朝、ようやく言葉になった。

(2022年11月20日の記事より、引用)
 
「日々ごはん」には、私の大好きな絵描きや、もう会えないかもしれない、大好きな友達が時々登場する。私はそれを見る度に、安心する。ずっとずっと、元気でいて欲しい。
(好きな人たちが、好きな人のえがく生きたい世界の中で輝かしく生きている事が、もっともうれしい)
 
先日、絵は描くけれどもう実名で世に出す事をしなくなった友達が、みんなどういう気持ちで絵を世に出すのだろうか、どうして人に絵を見せられるのか、と言っていた。
それに対して私は精一杯答えを伝えたけれど、うまく言葉にならないし結局よく分からなかった。それは承認欲求ではないか、とも言われたが、合っているような違うような。いや違うと思いたい、などと思う浅はかな私。
確かに、絵を描くのは高山さんと同じように、自分の為である。絵を贈るのも、自分の為である。自分の為ならなぜ、リスクを伴ってでも世に出すのだろう。わからない。わからないな、という思いが、それからずっと頭の片隅に居る。だからこの言葉は、今の自分にとって鍵の一部のようなものだった。

家の中、ひとり、友達のような恋人のような絵と向き合って制作をするが、完成した時には、友達はただの絵になっていて。抜け殻をそばに置いていても、虚しいだけだから。抜け出た魂は、もう窓から外へ、はばたいている。届くべき人のもとへ、バサバサと飛んでいるような気がする。私は、それを追いかけるようにして、自分も絵も傷つかないように、なるべく穏やかで良い波を持つ海辺から、そっと絵を流すように…祈りを込めて流すように、世に送り出したいと思うのだ。

そんな「日々ごはん」を読み終わってからは、北村太郎さんの事を書いたエッセイ「珈琲とエクレアと詩人」を読んでいた。有名な作品を世に放ってきた詩人や絵描きというのは、どうしても作品だけを観てしまい、その向こうに人間が居るという事を忘れてしまう。私もいつか忘れられる時が来るのだろうか。(それは本望なような、少し淋しいような) 先日、北村太郎さんの親族の方々に連絡する事があり、親族の方々は本当に親切に対応してくださった。
その時に感じた、詩人ではなく父親としての北村太郎という人間の気配。そして今回、この本の著者の知り合いである、人間としての北村太郎の生々しい匂い。詩を読むところからの想像する、詩人である北村太郎の像。それぞれからゆっくりと掘り進められ、ひとつの巨大な人間になってきたように思う。続きはまた明日、読む。

それから、昼過ぎ。いてもたってもいられなくなり、暫く連絡を取ってもいない知り合いに、急に絵を贈る事にした。
その人の近況を見て、少し涙が出た。絵を贈る他ない、なんて思ったのだった。それは同情でもなんでもなくて、むしろ暴力であると自覚している。それでも一筋の祈りのようなものを信じなければ、私の体が落ち着けなかった。
ひとつの紙から出来た8枚の小さな絵のうちの1つを、急いで梱包して発送した。ネットショップで販売しているこの絵たちは、結局1枚も売れていない。当初、制作費があまりにも足りないことから絵の販売を始めたので、その試みは失敗している。でも、不思議なことにこの絵を描いてから、〈この絵を贈りたい〉という人が何人か目の前に現れて、もう残りは僅かになった。だからこの絵を描いて、高い値段をつけて売り出したことに後悔は無い。

郵便局から家に帰って、温かいコーヒーを飲んだ。この時期の家の中のあたたかさは、どうしてかすごく安心できて、幸福を感じる。
1枚の絵とさよならした後は、不思議な気持ちになる。私はあたたかいが、絵はこれから寒い思いをするだろう。それでも大丈夫な気がするのだった。
この絵の行く先が、送った人の部屋でも、ゴミ箱でも、もう私たちは報われすぎている。祈りが祈りのまま、届きますように。