年明け実家に帰ったら猫アレルギーと日々のリズムが狂ったことで少し気分が落ちる。でも妹から借りて徹夜で読んだ『スキップとローファー』が素晴らしく、読んでいたら学生時代の自分が何人も成仏した。
それから、録画しておいてもらった紅白を大画面で見た。B'zの場面ではほくほく、でもやはりリアルタイムで見れてよかったとしみじみと。
TwitterではB'zのことを調べたからか、B'zの話題ばかり。紅白B'zを長年のB'zファンが大喜びで見ている動画を見ては、二次的に幸せになった(B'z特集のスポニチもGET!)。
家に帰ってから紅白に出場していたTHE ALFEEが妙に引っかかって調べる。それぞれ違う漫画から出てきたかのような風貌の3人は、結成五十周年を迎えたらしい。大掃除なんてまったくしていなかったから、机と祭壇を掃除をしつつユーチューブで『アルフィーキッチン』の動画を見漁る。最高すぎて掃除をほっぽり投げそうになった(一応終わった)。
祭壇は埃まみれで、毎月大切にめくっていたウィスット・ポンニミットのカレンダーは10月で止まっていた。11月、12月と、わたしは何をしていたんだっけ?写真とか文章とかは残っていて、もうあんまり覚えていないけど生きてたのですね。はあ。気分がぐっと落ち込んでいる時期のことは元気なときにはあまり思い出せない。
10月までは記入できていたスケジュール帳も一切ひらいておらず、祝いたかったお誕生日を完全にスルーしていたことをだいぶ遅れて知ってショックを受けた。ダメだなあ。
カレンダーもスケジュール帳もダメになったら一切見なくなる。今年は買わなくていいかもしれん。
そういえば『アルフィーキッチン』は、素敵な歌をうたうBさんやお世話になっているNさんも同じタイミングで見ていたと聞いて笑った。
『スキップとローファー』と『THE ALFEE』の掛け合いは、どちらも見ていて安心するというか、うれしくなるというか、幸せあふれる。多様性という言葉を使うのがずっと怖かったけれど、こういうことか!とハッとする。最近Amazonを解約して有料会員になったラジオの実況動画グループもそう。
久しぶりに一人きりで暮らす。今日で三日目か。気圧のせいか、実家を引きずっているのか、心がぶよぶよとしてる。セロリをまるまる一袋、その他野菜をたくさん煮込んだミネストローネを鍋いっぱいに作っておいた。これは正解だった、これがなかったらこの三日間はひどい食生活になっていたんでないか。
寝付けないし、朝はぜんぜん起きれない。沈んだ太陽ぶんの焦りが積もっていく。頭には言葉がいっぱい。誰とも喋っていないのに内側でずっと何かが爆発しているようにうるさい。花を買いに行くだけでくたくたになって、それから外に出ていない。花屋では花を決めきれなくて長いこと悩んだ。花なんてどれも絶望的にきれいだと思う。どうやって選んだらいいか全然わからない。
ぎりぎり選んだ二種類の花は(二軒はしごした)どちらも似たようなやわらかさ、淡い色をしている。たぶんこの時点で、わたしの気分はおおいに反映されている。選別、というより、答え合わせのように。情けない。わたしは花を描くとき、男になっている気がする。そういう目で花屋に立つのはどうなんだろうね。
それから描こうとしても花をうまく観れない。下心しかなくて、やつれていて、形をとれるような精神状態でないことに気づく。元気なのだけども。でも気づけてあきらめられるのは成長だと思う。
そういうときやはり経理の仕事は助かる。元気と時間だけ有り余っているとき天国になる。だらだらと入力していたらあっという間に2024年の確定申告の準備が終わった。ハタから見ればけっこう優秀な人なのではないだろうか。実際は違います、やることできず、暇なだけ…。
昨年度のお金の動きのグラフは、見事に感情の動きと連動していた。年収的には自分ひとりくらいはじゅうぶん生活できる額。すごいです。なのにどうしてこんなにしんどいのでしょう。落差だろうな。みんなどうしているんだろう。どうにかしないとそろそろ身が持たないだろうなあ。
今日は朝からずっとチャゲアスを聴いて、ASKAのことを考えていた。そういえばいつだったか夢で、ASKA(ソロ)のライブに行った。シークレットゲストでChageが出てきて「これって実質チャゲアスじゃん…」と震えたんだった。夢じゃなけりゃいいのにな。今日もまたしみじみ思った。再結成があるとして、自分の身体はあの人混みに混じって楽しめるのかは分からないけれど。
ASKAのことを考えていて、胸がぎゅううう、とする。それがいちいち、なんか、すごくばかばかしいような、はずかしい。
B'zもチャゲアスもALFEEも、テレビとか携帯でわぁーっとするときにある隔たりは思ってる500倍くらい大きいだろう。彼らのことをなんにも知らずに、年代のギャップも飛び越えて、わたしは勘違いの延長で泣くほど感動している。すばらしい音楽を聴いて、わたしに描くべきものなんかないと本気で思う。何度も思う。それでも何か残ってしまうものがあるならばそういうようなものにしなくてはと。ほんとうの最後にはきっと何も残らなくて、じゃあ自分の優しさに自信を持ったっていいのかもしれないと思ったり。
アツいスターたちは見た目もすごい。デヴィット・ボウイに最初に打ちひしがれたときも見た目にびっくりしたのだった。その姿は、その主張は、差別じゃなくて喧嘩、という感じがして好きだ。疎外感を抱かせる隙もないような、知らん人が見たらとんでもない風貌。それは自分の、というより、自分の優しさの、自信、の、あらわれなんじゃないかな。
これはわたしの趣味ですが、ASKAの黒Tに青ジャケットの姿が大好きで、大好きで。あの服装をいつか揃えて、個展の初日とかに着こなして在廊とか出来たら…。そんな気持ちを野望のように抱きながら、最近は青い服ばっかりある。
Wi-Fiがつかえず、頭の中で無限に湧いてくる言葉を携帯から放出!でした。