なにか生えているひとたち

 

 

みんな頭になにか生えている(もってる?)
 
おくっていただいたCDに入っていた歌が聴きたかった言葉と音をしていて、聴きながら洗濯物を干したり、郵便局に行ったり、珈琲豆を挽いたりしていた。すぐに夜がきた。
脳内が漠然と不穏なのは一昨日くらいから変わらずで、以前だったら寝込んでしまっていたかもしれない。言葉も旅行の計画も手先も不器用でうまくいかない。つかっているMacもさまざまな機能が使えなくなって、いったい何に時間を費やしているのかと情けなくなる。数ヶ月前まで立てられていた献立も考えようとすると心どこかに飛んでいく。
 
ぼんやり歌を聴いていて、あの人の絵をおもいだした。それから、しばらく連絡をとっていない友だちに、この歌のことを教えたいと思った。きっとあのお店にCDがあるだろうから、買って、送ってみようと想像したり。べつの友だちから、コンビニで新発売のグミについての連絡がきた。わたしはいつも新しいグミを見張っているから、もう知っているグミだった。そういう日常に、さまざまなものの気配に、わたしは回復させられていると気づいた。遠くの大切な人は、どうしたらずっと元気に生きていけるかと考える。直接できることは、やっぱり、ないのかもしれないと思った。
 
心配だけは人一倍、しかしいつだってできることはとんでもなく少ない。なんて無力なんだと嘆きたくなるのはぐっとこらえる。できることがないということは、きっと、絶望ではない。できることがないからできることも、ある。
とてもとても単純でもろいねがいごとは、きちんとかくまって、ひとりで祈る。それがどんなに辛い現実であろうと、そのねがいは宝物だ。