2023-03-25

春の夢

 

 
先日完成したチューリップの絵。
こんなにおとなしい姿だったのは花を買った当日だけだった。
翌日にはもう茎が変な方向に延びる。みんな別の方向に。この小さな花瓶には収まらないため、早々に大きな花瓶に移し替えた。
近所の桜は満開。亡き猫のように優しくてふわふわとしている。
住宅街のいたるところに鮮やかな花がみられる。
一昨日くらいから天気は雨。風邪と花粉症は落ちついて来ても、身体が重くてたまらない。
春、人間は眠っていた方が良いんじゃないかって思う。
生気を植物たちに吸い取られている気がする。
寝付き悪いけれど眠れば毎日十時間くらい眠って、心地いい夢を見る。
今日の夢は二本しか覚えてないけど三本立てだった気がする。
一本目は猫が生き返る夢。はじめふれた時、体温がないのが途方もなく悲しくなるくらいリアルだった。あごの下を優しく撫でていたら、ゆっくりとあたたかくなった。死んでなくてよかったって思った。
二本目はオーロラを観に行く決意をする夢。異国へ飛行機で飛ぶも、観れなかった。けれど、全部捨ててでも私は行きたいって思ったのだった。何が決めてだったんだろう。
 
起きてから、身体の何かがごっそりと落ちたように不安。
愛するものが居た世界には何よりも価値があって、そこで生を全うしたいと今も思うが、でもやっぱり、どう頑張ってももうこれまでみたいに会うことはないのかと思うと、全部終わらしたくなる、逃げたくなる。バカバカしくて寂しくてやりきれない。
結論は出ていた筈なのに、分かんなくなる。
窓辺とかを見た時に、『あ、ここに居そう。』と思う事があった。そう思えたなら、その時そこに、実際に、きっと、居るのにね。なのに寂しくなるし、時々、無性に撫でたくなるのです。
困った。
なまあたたかい空気は何だか不穏でしょうがない。

2023-03-19

no title

 










 
高熱出るわ、花粉症ひどいわ、携帯は電源つかなくなっちゃうわ、自転車はパンクしてるわで、ふんだりけったりの数日です。
携帯もパソコンも見かけはハイテクというか、どうみても新しい機械って感じなのに機種としては古いらしく、つかない携帯の中のもろもろをパソコンでどうにかしようとしても、古すぎて何にもインストールできず。
バージョンとは、OSとは…?よくわからない。携帯壊れそうな時、毎回必死。これを機にガラケーにしようかと本気で考える。 方向音痴にはきついだろうか。
だいぶ元気になってきたけれど身体はふらふら、あと水が苦い。その症状は亜鉛が足りていないと起こるものらしい。亜鉛が含まれているという牛肉と舞茸とを買って来てもらって、塩ふって焼いて、いただいた。おいしい…
不調はいろいろ重なるものですね。みなさんもお大事に。

2023-03-16

声とまばたきと微笑みと


弔いは誰のため/何のためにするんですかと聞くと、自分のため/自分の気がすむようにじゃないですかと返される。

人は多面体というより、もっとなめらかかもな、とゆっくりと確信させられる出来事があった。人のことを、宇宙に浮かぶ星のように想像する。照らされた部分と影の部分とがある。離れて見ると明暗が、すごい差。
嘆いてもだめなのだ。太陽があるからしょうがない。
 
歌手でもないあの人がギターをひいて歌を歌った姿を見ていたい、と思うのは理屈とことばに疲れたからか。
声とか、まばたきとか、微笑みとか。色彩や明暗に覆われて誰も気づくことない鉛筆を消した跡とかを信じる人になりたくて。真面目になればなるほど蟻地獄にはまるように出来てる気がする、不思議。大事なものが流される前に、私は落ちつかないといけない。目を閉じること、耳を閉じること。

今日はやけに疲れて帰って来て水をたくさん飲んだら少し回復した。水、ありがとう。
最近は花をコツコツ描いていて、家は花だらけ。花たちもぐんぐん水を飲んでいる。生き延びてる。咲いてる。描かねば。

2023-03-01

展覧会<空想の窓辺>ありがとうございました


 



 
昨日、展覧会<空想の窓辺>が終わりました。
会期は一ヶ月ありましたが、本当にあっという間だった。
絵にとっても私自身にとっても幸福で満ちた期間でした。
この展覧会に関わってくれた方々と場所…会場である「背骨」・店主の吉田さん・一緒に本を制作してくれたデザイナーの浦川さん・色々な面で色々な形で助け舟を出して支えてくれたえほんやるすばん店主の荒木さん・大好きな詩「犬の日々」の展示/掲載を許可してくださった親族の方々・思潮社さま・そんな詩を遺してくれた北村太郎さん。
それから、見に来てくれた皆様・気にかけてくれた皆様・絵を購入してくださった皆様・DMを置いてくださったお店・いつも見守ってそばにいてくれる友人・こうして絵を描きながら生きる事を当たり前に受け入れてくれる家族のみんな・愛をいっぱい与えてくれた大好きな猫。
まだまだあります。こうして書くととめどなくなってしまいますが、とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。
私は本当に恵まれているなと感じる事が何度も何度もありました。
本当にありがとうございました。

私は芍薬の固い蕾のような状態の物事をいくつか抱えていて、背骨さんや店主との会話、お客さんとの会話の中で私の蕾をやさしくもんで咲かせてくれたような出来事が何回かありました。
世の真理に気付くのは案外簡単なものですが、それを実行したりつかみ取るのは難しいのです。
未熟さを忘れず、これからも立ち止まったり歩いたり時々振り返ったりしながら、影や傷や矛盾と友達になって生きたいです。

心の中に作った空想の窓辺へは、前にこちらにも書いたかと思いますが、変わらず、描き終えてからしばらく訪れていません。そこは今では廃墟のようになっているかもしれません。だけど取り壊す事はせず、そのまま残しておきます。
背骨へ訪れることも、空想の窓辺に帰るのと似てるかもしれないな、などと。
いつでも帰れる場所があるのは、安心です。
 
在廊中いただいたコーヒーの味、流れるクラシック、美しい斜陽。数十分遅れた時計。背骨におかれる商品たち…自分が生まれる遥か昔に作られた道具、絵、置物。誰かが誰かに宛てた贈り物。知らない家族の愛に満ちたアルバム。 ふしぎな若いお客さんとのふしぎな会話。楽しかった。美しい夢の中の出来事みたいです。

なお、展覧会<空想の窓辺>の記録写真を近日中に何かしらの形にして公開しようと考えています。
そちらも見て頂けたら嬉しいです。
それから、本<空想の窓辺>は、青は売り切れて、朱色だけまだ残ってます。ひとまずウェブショップでは販売を続けています。気になる方はぜひ、調べてみてください。


ここまで読んでくださってありがとうございました。
また皆さんとお会い出来る日を楽しみにしています。

市村柚芽
 
 ◎おまけ
 
 
↑会期前半に描いていた白いバラは、今でも元気に背骨さんに飾られています。

 
↑バイト先の大好きなおっちゃんが大きな花束かかえて見に来てくれた。センスの良いチョイス!枯れてきてもずっと美しい花。

 
↑在廊中淹れてくれたコーヒーやカフェオレが美味しかった。差し入れで頂いたお菓子も、美味しかった。ごちそうさまでした。


 
↑生々しい写真をスミマセン!会期中、母が誕生日プレゼントのワンピースをもってきてくれたのが嬉しくて、撮ってみました。後半に描いた絵に似た葉っぱ柄なのです。最終日はこれを着ていました。


 ↑これも最終日、大切な友人が誕生日プレゼントをもってきてくれて、その中にいた一人。ふわふわなオバケ。ありがとう。