屈強な花


(2025-7-29)

(2025-8-8)

(2025-8-25) 

 (2025-8-22)
 
一昨日の晩、新しいノートに自分はどうして花を描いているのか考えるために書き連ねた。こんなところで発表することでもないのかもしれないけれど、別に表に出したくないわけでもないからなんとなく載せてみる。最近の自分は、描いた絵の意図が伝わって欲しいとか何か感じて欲しいと思わない。感じてくれたならそれはそれは嬉しい、けれど、それは絶対に目的ではない。「生きていくこと」と「ちゃんと死ぬこと」と「花を描くこと」は、自分の中で同じ意味を帯びている。それに一昨日気がついた。私は、葛藤の地獄、わからないの地獄から抜け出せなくても、感傷には浸れるだけ浸るし、物思いには耽るだけ耽るし、嘆けることはもうさんざんに嘆いて寝込むが、そんな私的なものとはおかまいなしに、とにかくどんどん描かなければいけない、そんな気分があります。