肩の痛み / 折り合い

 


設営のために一昨日から昨日まで宮城に行っていました。
げっそり設営しはじめたら頼もしい方々にてきぱきと助けられ、いちばんおいしいおそば屋さんに向かう車中で昔々の夏休みのように通りすぎる美しい夏のみどりを見て、絵の近くではうれしい再会うれしい出会いがあり、さわやかな風に吹かれながらきらきらの思い出をおみやげに新幹線になんとか乗り、家に帰ったら電池が切れたみたいにくたびれて、発つ前に受け取った宝物たちを確認してへろへろ撫で、翌日の夕方らへんまでとにかくよく眠りました。肩の痛みは半分くらい残っています。 体力…体力…!
ボロパソコンは日に日に使える部分が減っていて、今日はユーチューブやSNS類の大部分が見れなくなっていました。連絡したい人がたくさんいるしとっ散らかった部屋も枯れた花も領収書の地獄もなんとかしなければいけないのですがなんともならないままあっという間に夜がきました。

その昔、いや案外最近、自分なんかが生きてていいんかなあと簡単に思ってしまえた時代があった。生きていてはだめな理由がある方がいやだねと今は思う。全てのささやかでばかばかしくどうでもいいとても大切なことが、肯定も否定もされずそのままのかたちを保ったまま持っていられたらいいとまっすぐ思った。たとえば価値をつけることって折り合いをつけるということかもしれないなあ。どこかに偏ることなく折り合いの折られたところの影にかくれた小道を見つけてどうにかこうにか、せめて諦めずにいたいです。