人間の狂気


朝からすごく調子がよくて張り切っていたら卵を落として割ったり、お皿によそったミネストローネに塩気を足そうと塩を振ったら「ザーーーー」と出て塩味のミネストローネになったり。それでもなんとか絶望に取り込まれずふんばってすごした今日でした。  
 
また花を買いに花屋に行った。描くための花。
自分の意志の頼りなさに、もうすこし親切になろうと思った。
わたしの事情はどうでもいい(…よくはない)、いや、一旦どうでもよくて、わたしは、とりあえず今は、描いた方がいいんだと思う。最近、よく思う。 突っ走るわけではない。ただ、とにかくもっと、継続して描く必要があるのではないかと、特に花は。
 
切り花を、生きていると思って、対話していると思って、ひたすらに描いていたけれど、それはほんとうに、ほんとうに身勝手な人間の思い込みでしかなくて、わかっていたつもりだったけれど、少し、怯んだ。切り花に対して芽生えてきた愛しさ。乾涸びた花を、ごめんと言いながら捨てる。それは許されたいから、でしかない。こういう虚しさはなんて形容したらいいんだろう。わからない。
だから、というわけでもないのかもしれない、しかし?、描きたい、言葉を探すよりも、描きたい。
描くというのは強制的に観るということで、観るというのは一方的な介入だと思ってる。頼りない自分には強制の力が必要、だから描きたい。
だからそれに従って。 とりあえずしばらくは我に返っちゃだめなのだ。

すくすくと育ちつづける多肉植物への愛情は芽生えない。怖いくらい。でも安心する。その図太さに。だから、ありがとうとは思ってる。