だめになってくると机の上の余白がなくなる。あと、床も狭くなる。
余白は、貯まっていく領収書と、処方されたお薬の説明、手紙、コード、数日前の行動のメモで埋められている。今日はその第一歩目として領収書の整理をした。
仕分けし、入力されているのは10月8日までだった。かつての有能な自分は、どこまで計上して何日から入力すべきなのかを書き残しておいてくれた。救世主のようだった。
10月8日以降の領収書で各科目ごとに棚に仕分けされて入っているのは10月の後半までで、その時点で消耗品費や交際費の棚はぎゅうぎゅうになっていた。ぎゅうぎゅうになった棚を見て「もう入りきらないからそろそろ入力するか」とはならずに「見て見ぬ振り」を選んできたらしい。11月前半から今日にいたるまでの領収書が、机に散乱し、蓄積していた。その枚数は、必要だった元気と、蓄積する不安の数値であると思う。経費に認められず、破棄すべき領収書(つまりゴミ)までもが置き去りで、思ったより大量だった。つまり、元気がなかったとき、わたしは、なにも出来ていなかった。
パソコンで、領収書の情報と全ての口座の動きを入力した。
「使っているブラウザの対応が終了したのでアップデートしてください」と言われる。パソコンのバージョンが古いためにアップデートできない。刻一刻と終わりが迫る。不安だ。
それでも、口座の残額と計上した金額がぴたっとあうことは、とても気分がいい。わたしにとってこの作業は最大の癒しである。たったひとつの正解があることが、こんなにも嬉しいと思ってしまうような大人に育ってしまったのですね。
最近、税金を払うと心がゴッソリ持っていかれる感覚があるが、雨雲的な不安が支払った瞬間に晴れる。心の平穏が少し近づく。だから、ギリ安心が勝つ。口座の残高を見て泣く日は近いから、結局落ち込むのだけど。とにかくお金が必要だ。でも上手にお金を稼げないから、上手に働けないから、困っている。どうしたらいいのだろう。
机の上の余白が帰ってきて心にも余白ができた。
できることなら不安が発生する前段階で処理したい。何度かは試みた。しかし日常の中で小さくとも想定外の出来事があると強く影響されてしまい、そのルーティンは簡単に崩れる。楽しくても苦しくても崩れる。崩れると領収書も不安も積もる。
「あなたは『ふたりはともだち』のガマくんにそっくりだと思うよ」
と言われた。認めるのは癪だ。なにをわかったように。でもたしかに、認めざるを得ない。「ガマくん」の行動や感情の理由が、手にとるように分かってしまうから。
一日の予定(朝起きるとか、朝ごはんをたべる、とか)を箇条書き書いた紙が吹き飛ばされてしまい、不安で何もできなくなる「ガマくん」の物語を読んでいたとき、自分を見ているようだった。客観的に見たら喜劇である。それは救いなんだが、本人としてはつらくて仕方がないだろう。これをおもしろ話として書いたアーノルド・ローベルは天才だと思うが、つらさは残る。(でも、これが最善だと思う)
数字はわたしにとってすごくやさしい。「ガマくん」も多分領収書の整理は好きなんじゃないかな。安心できるよ。教えてあげたい。