アンデルセンと原民喜

少し前の無花果のスケッチ、ウォーミングアップがてら。
観察して描くって、人と会って話すより親密なコミュニケーションだなぁ。
対人でもこんな感じで語り合えたら良いのに。
 
しばらくあけていた家を掃除したら、キッチンペーパーと小麦粉が棚奥から笑えるくらいたくさんでてきた。どちらも切れたら不安な物たちだった。買った時のことは全然覚えてない。検索したら認知症とかでてくるもんだから、夜にまたそんなこと考えて寝付き悪くなる。多分ただの心配性の一環…と思うことにする。
アンデルセンは重度の心配性だったことと、原民喜の書く作品が「不安文学」と呼ばれていることを、それぞれ別の人から教わった。アンデルセンの生前の行動を読んで、ガハハと一瞬笑うも、棚の上にあげた自分を思い出して笑えなくなる。
絵の世界を絶対的なものにしたいと考えていて、反復して同じ(似たような)情景を描くことでそれが夢や空想ではなく、もっとリアルになるんじゃないかとひらめいたことがあった。
それも遡れば不安から来ているような気もしなくもない。うーん良いんだろうか。不安を個性と認めてしまっても。
私の絵もいつか「不安絵画」とか呼ばれるんだろうか。