(2024-12-24)

(2024-12-27)

 (2024-12-31)

また花を描き始めた。
捉え方はやはり変化し続けていて、少し前と同じようにはもう描けない。それをいちいち感傷的に受け止めることもなくなってきた。手を動かし続けていると何十年も昔の「わたし」があらわれることがあって、そんなときすこし安心する。安心して自分を手放せる。

あらかじめ答えがあるかのように、花なんてそこになくても描けるみたいに、「こう捉えたい」と願った姿で花を見てしまうことがある。そういう描き方をしたとき、ほんとうにつまらなくなる。それは、絵を描くことが、「ただ絵を描くこと」になってしまっているからだ。

花をみつめるとき、わたしにとって意味があることとは対話だけである。花と対峙するとき、花が枯れて腐っても自分の心は腐らずにいたい。そしてそうありたいことを忘れないでいたい。